僧侶も人間

僧侶の何気ない日常

辛い悩みの共有

辛いことを共有できる人が欲しい。

そう思うことは当たり前なのか。そうじゃないのか。

 

僕は、昔から自分の辛さを人に言ってしまう。しんどい、だるい、眠い。

高校の時は、そんな自分が嫌で、こんなことを言うのをやめようと思ったこともあった。

でも、そう簡単に人間は変わることはできない。

やっぱり言ってしまう。今もだ。

 

でも、歳を重ねるにつれて、それは自分を守ることに繋がっているんだと思うことができた。自分の中で消化しきれない感情を言葉として出すことは、なかなか難しいし、周りを気にすることではあるが大事なことだと思うようになった。

 

自分の中で、自分にしか解決できない問題が大きくなって、自分を死に追いやることだってある。

仕事辞めたい、生きるの辛い、朝起きるの嫌や。ぐらい思ってたっていい。

 

YouTubeでたまに見つけた、島田紳助さんが言っていた。

「人は仕事辞めたいぐらいの大きな悩み一個あった方がええ。自分の中で小さな悩みしかないと、それは誰にも解決できんから大きくなって自殺にまで追い込むから」

(こういうニュアンスだから間違ってるかも)

 

なんかこれはとてもしっくりくることがあった。

大きな悩みの一つや二つあってもいい。それを他人と共有できるから。

その悩みが人と人をつなげることだってある。

そう思うと少し気が楽になった。

 

聖人になれなくても人の痛みや悩みにちょっとでもそばにいれる人間になりたいな、なんて思う。