ラジオ体操
元気良く行きましょう!
そんな声とともに、ラジオから音楽が流れる。音楽とともに、体操の仕方を元気な声の男性が教えてくれる。
それにつられて僕たちも体を動かす。
日本人なら大体の人がこのラジオ体操の音楽と体操を知っているだろう。
なぜ、ラジオ体操は朝にするのか。
目を覚ますため、元気に1日を始めるため、怪我をしないため。
多分どれも正解なのだろう。
体を動かすというのは、本来人間に備わっているものなのだろう。
体を動かさないことには、一日は始まらない。考えなくても、体がそうなっているのだから仕方がない。
軽快にピアノの音が鳴り響く。
ラジオから流れる音楽に耳を傾けながら、動き始める合図を待つ。
僕たちは今までやってきた、体に染み込んでいる体操を行う。
みんなと同じように、みんなからはぐれないように。目立たないように。
本当のラジオ体操はこうなのだ、と初めて知った。抑揚とキレが素晴らしい。
こんなにも綺麗に踊れるのなら、これはもう競技なのではないだろうか。
果たして、ラジオ体操の綺麗さを競う大会などは存在しているのだろうか。
この命題については、あえて考えないこととする。僕の想像の中でおもしろおかしくしたいから。情報が溢れる世界で、こういった遮断行為も大切なのではないだろうか。
ラジオ体操大会の一番みる点はなんなのだろう。やはりキレ?それとも、リズム感?いやはや、独自性?
僕は独自性が見たい。あれだけ定型化されたラジオ体操をどうやって崩していけるのか。少し見たい気がする。果たしてこれは、ラジオ体操に対する冒涜になるのだろうか。SNSに載せれば、拡散はされるが、晒し者にされて、袋叩きの的になってしまうのだろうか。
こんなネガティブになるのは夜だからだろう。
話は逸れたが、僕が職場でラジオ体操をしていたとき、先輩に「君硬いね」なんて言破れた時には、なぜか悔しかった。張り切ってやったつもりが、意図せずに敗北に終わった。こんな屈辱があってなるものか、なんて思った。
意識はしてなかったが、僕はラジオ体操はうまいものだと思っていた。思いこみというのは、時としてとても怖い。その次に踊るときは、必死で頑張ろうなんて思ったが、人間の意思とは弱いもので、次の時にはそんなことを忘れている。
いつか僕も、ラジオ体操マスターになれるかな。
将来の自分に問う。